「デザインの役割は、広がっている」という言葉は、近年よく聞かれるようになりました。デザインを意匠(見た目)ではなく設計と捉える考え方が一般化(黒須、2020)し、デザイン思考の広まりも相まって、デザインは問題解決やプロセスとしての意味合いがより強調されています。本記事では、デザイン・イネーブルメントなどを背景に、デザインがどのように再定義され、なぜ重要なのかを歴史的視点から紐解いていきます。IDEO以前にも、デザイン思考に関する研究は存在した一般には、IDEOのティム・ブラウンがハーバード・ビジネス・レビューに投稿した論文(Brown, 2008)がデザイン思考の広がりのきっかけとされます。しかし、実際には1960年前半、カリフォルニア州立大学バークレー校で教鞭をとっていたウィリアム・ワースター、ホルスト・リッテル、クリストファー・アレグザンダーらが中心となり、「デザインに関する研究(Research on Design)(Faste & Faste, 2012)」を始めていました(Dubberly, 2007)。当初、この研究はデザイン行為に対する論理的・科学的アプローチを体系化する目的で進められました。しかし、デザインが扱う問題が文脈依存であることやステークホルダーの多様な目標調整が必要となり、唯一の正解がない課題へ「科学的手法」を適用することが困難になったのです(Buchanan, 1992; Dubberly & Rith, 2006; Rittel & Webber, 1973)。そうした中、ノーベル賞受賞者で人工知能分野にも影響を与えたハーバード・サイモンが、「現在の状態をより好ましいものに変えるべく行為の道筋を考案するものは誰でもデザイン活動している(1969)」という、現在でもよく引用されるデザインの定義を紹介。これを機に、組織や人間の認知科学的な側面、および、政治的・レトリカルな側面を捉えたアプローチの研究が盛んになり、現在の「デザイン思考」へと認知が広がっていったのです(Dubberly, 2017; 2022)。科学(サイエンス)、人文学(ヒューマニティ)、そして、デザイン先ほど紹介した流れから派生する形で、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートを中心とした「デザイナー的な世界の向き合い方(Designerly ways of knowing)」に関する研究が存在します(Archer, 1979; Cross, 1982; Hall, 2024)。この研究では、大学という教育機関の中で教えられる一般教養のカテゴリの中に新たに「デザイン」という第3の領域の必要性、妥当性に関する論考が展開されていました。第3の領域ということは、第1、2の領域があるわけですが、ここには「科学(サイエンス)」と「人文学(ヒューマニティ)」が古くからの領域として存在します。科学は、物事がどのような仕組みで動作しているのか?世界の真実をありのままに解明する領域です。一方で、人文学は、批評や評価を通じた人間が持っている主観的な価値観や観点について理解することを主眼としています。では、デザインはどうなっているのでしょうか?デザインを第3の領域として提唱を進めたデザイン・サイエンスの研究家であるブルース・アーチャーやナイジェル・クロスは、デザインは厄介で現実的な問題を、モデリングや視覚的な表現を活用しながら、物事がどうあるべきか?という人間の主観や価値観を反映しながら、形を作り上げていく行為であると位置付けています(Archer, 1979; Cross, 1982; Davis, 2017)。こうした動きにより、デザインは独自の領域・思考法として概念的に切り出され、学術的な研究対象として認識されるようになりました。デザインは、誰もが発揮しうる能力であるこのようなデザイン思考に関する歴史的な研究の流れを見ていくと、デザインは必ずしも特定の専門職の人材によってのみ発揮される能力ではないという解釈の可能性が見えてきます。コンビニのコーヒーメーカーにたくさんのテプラーが貼られたというケースは、しばしば「デザインの敗北」として取り上げられます。しかしこれは見方を変えれば、使い手としてよりわかりやすい状態を作り出そうとしたデザイン行為の結果であると捉えることができます。このような生活の中の工夫にも、ある種の「知恵」があり、そこには無名で、無意識なデザイン活動の存在を見出すことができます。『はじまりのデザイン学』の著者であり、帝京平成大学助教授である中村将大は、このようなデザイン「未然のデザイン」と呼び(2025)、同様に、デザイン研究者であり、専修大学教授の上平崇仁も「ホモ・デジナーレ(homo designare)」というフレーズを使い、デザインするからこそ人間であるというデザインという能力の普遍性について言及しています(2020)。また、ミラノ工科大学のでソーシャルイノベーションの研究をしてきたエツィオ・マンズィーニによる当事者らの「デザイン・ケーパビリティ」という考え方もこの流れに沿っています。(2015, 2019)。デザインという新しいリーダシップモデルの誕生科学(サイエンス)、人文学(ヒューマニティ)、デザインの関係を整理すると、科学(サイエンス):過去に起こった事象を観察・理解人文学(ヒューマニティ):人間が生み出したモノ・コトの意味を見出すデザイン:未来をより好ましく変えるため、新たな選択肢を生み出すというように、過去・現在・未来の循環を担うと捉えられます。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの教授であるシェリー・ホールも、それぞれが独立せず、相互に補完し合う存在だと指摘しています(Hall, 2019)。組織や国家の方針・政策立案の分野では、歴史を振り返ると比較的変化が緩やかな時代には、過去に起こったことのデータを蓄積し、前例に従いながら現在の意思決定をしていくというモデルが成立していました。しかし、産業革命やインターネットが登場して以降、私たちのコミュニケーション量は爆発的に増大し、単に過去から学ぶだけでは、その不確実性に耐えることが難しい状況が生まれています。そんな中、過去と現在を経由しながらも、前例から逸脱した未来を自らのより好ましい状態にするべく能動的な行動を促すデザインは新しい意思決定のモデルとして注目を集めています(Hall, 2019)。実際に、経済産業省が推進する「デザイン経営(2018)」もこのような流れの一環として捉えることができますし、ホールは、論文の中でソウル氏の取り組みやイギリスの全党デザインイノベーショングループ(APDIG)による政策立案への取り組みも例として挙げています(Hall, 2019)。ここまでのことを踏まえると、現代におけるデザインは、好ましい未来を実現するために新たな選択肢を提示し続ける行為であるという本質の部分が、デザイナーという専門職能の手を離れ、より多くの人によって実践されるべきある種の教養(Buchanan, 1992)のようなものへと変化していると考えることができます。この状況はデザイナー自身にとって、自らが活躍できる可能性が広がかったことを意味するでしょう。同様に、いわゆる「非デザイナー」にとっては、デザインという行為の本質に意識的になることが、すでに持ち合わせている専門性をより高い次元へと変化させる機会になると考えます。「デザイン・リーダーシップ(佐藤 & 八重樫ら、2022)」の個人、そして、組織単位の獲得が、不確実性の高い社会の中で、高い競争力を維持する重要な要素になる可能性を秘めていると言えます。参考文献Ashley Hall. (2019). Design Thinking: Governing Inter-Domain Thinking. International Journal of Design Creativity and Innovation, 71–89. https://doi.org/10.1080/14606925.2019.1693211Archer, B. (1979). Design as a discipline. Design Studies, 1(1), 17–20. https://doi.org/10.1016/0142-694x(79)90023-1Brown, T. (2008). Design thinking. Harvard business review, 86(6), 84.Buchanan, R. (1992). Wicked Problems in Design Thinking. Design Issues, 8(2), 5–21. https://doi.org/10.2307/1511637Cross, N. (1982). Designerly ways of knowing. Design Studies, 3(4), 221–227. https://doi.org/10.1016/0142-694x(82)90040-0 Cross, N. (1999). Design Research: A DisciplineDavis, M. (2017). Teaching design: a guide to curriculum and pedagogy for college design faculty and teachers who use design in their classroom. Allworth Press.Dubberly, H. (2017). Connecting Things: Broadening design to include systems, platforms, and product-service ecologies. In Atzmon, L., & Prasad Boradkar. (2017). 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(2025). はじまりのデザイン学. BNN出版.