みなさんは、「イネーブルメント」という言葉をご存知でしょうか?意味としては「〜を可能にする」というものですが、近年この考え方が注目を集めています。本記事では、ゆめみが提案する新しいアプローチ「デザイン・イネーブルメント」の視点から、イネーブルメントとは何か、そして何を大切にしているのかを整理します。イネーブルメントという考え方は、作業療法の分野から始まっているデザイン・イネーブルメントという考え方を理論として整理をするリサーチを進める中で、思いがけずたどり着いたのが作業療法の分野でした。作業療法は、日常的な行為から仕事や余暇まで、人が行う「作業(Occupation)」を対象として支援し、「その人らしい」生活の実現を目指します(日本作業療法士協会)。ここで注目すべきは、「その人らしい」という点です。これはデザインで言うところの人間中心・顧客中心の考え方(山崎 et, al., 2016)と通じるものがあります。実際、作業療法の黎明期から、支援を受ける当事者を中心に介入するという姿勢が重要視されてきました(Townsend et, al., 2002; Townsend & Palatajko, 2007)。カナダの作業療法学者エリザベス・タウンセンドとヘレン・ポラタイコは、イネーブルメントを次のように定義しています:…人々が自分たちの生活を形作る手段や機会を得られるように、個人、グループ、機関、または組織と協働しながら、支援、指導、コーチング、教育、促進、傾聴、内省、励まし、その他の形で関わるプロセス(Townsend et, al., 2002; Townsend & Palatajko, 2007)ここでは、当事者の目的意識やゴールを中心に据え、その実現のためにさまざまなアプローチを組み合わせることが示されています。イネーブルメントには、多様なスキルが求められる先ほど紹介したイネーブルメントの後半部分は非常に特徴的だと言えます。具体的には、支援をする対象への様々な介入の方法が列挙された形になっています(例:指導、コーチング、教育)。どうやら作業療法の分野においては、当事者を中心とした支援を実現するための介入のパターンとして、10個の「イネーブルメント・スキル」が定義されているようです(Townsend et, al., 2002; Townsend & Palatajko, 2007)。これだけ多様なアプローチがあるのは驚きですが、クライアントを中心に据え、状況に合わせて「手を替え品を替え」支援を実践する様子を示すとも言えます。筆者も、理論化する前から感覚的に「どうすればクライアントにとってデザイン知を最も有効に伝えられるか」を模索していました。この多様なスキルは、まさにそうした実践を適切に捉えた表現と言えるでしょう。イネーブルメントの3つの方向性2024年のAcademic Design Management Conference 2024で発表した筆者の実践研究では、前述のイネーブルメント・スキルを次の3つの方向性に整理しています(本村&八重樫、2024)。ひきだす(Pulling):クライアント自身の見解、希望、関心を語ってもらうつたえる(Pushing):クライアントに専門的かつ特化した知識やアプローチを形式知として説明するみせる(Demonstrating):特定の文脈で、専門家が自身の知識やスキルをどのように実践するという暗黙知をデモンストレーションする「つたえる」は、主として形式知を扱い(野中&竹内, 1996)プロのデザイナーとして講義をするような場面があればすでに実践済みかもしれません。同様に、「みせる」は、主として暗黙知を扱い、OJTのような形で後輩を育成するような場面で、ペアデザインという方法をとって、言葉にはできないノウハウを伝えることを指します(野中&竹内, 1996)。歴史的に見れば、デザイナーがデザインを学ぶ過程には、ギルドという組織の親方に弟子入りをするという徒弟制を軸に展開した流れがあるため(Davis, 2019)、デザイン教育や育成という観点から見れば、この分類は一定の妥当性があると考えることができます。しかし、それがイネーブルメントというアプローチであるかどうかは、事前の支援をする相手に対しての丁寧な要求の確認、つまり「ひきだす」ということをしているかどうかで判断できると言えます。自らのノウハウを一方的に伝える、もしくは、デザインという分野の教典的な考え方を押し付ける行為ではないということです。ですので、相手が実現したいことを物事の中心に据えた時に、そこに至るまでの試行錯誤のプロセスや手法は画一的なものではなく、丁寧な対話を通じたオーダーメイドのものが生成されることになります。結果として、作業療法の分野で紹介されたような多様なスキルセットという形を取るのであると考えることができるかもしれません。イネーブルメントする対象は、個人も組織も含まれるここまで紹介してきた作業療法に始まるイネーブルメントの考え方は、一見すると「個人」に対するアプローチのように見えます。しかし実際には、この概念はチームや組織にも適用されています(Townsend & Palatajko, 2007; Peterson, et al., 2020; ゲオルグ, et al., 2001)。最初から組織を想定していたのではなく、研究が進む中で個人から組織へと対象が拡張したと考えるのが自然でしょう。早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授の入山章栄氏は、著書『世界標準の経営理論』の中で、「マクロ心理学ディシプリンの経営理論」と「ミクロ心理学ディシプリンの経営理論」を対比しています(入山、2019)。前者では、組織学習(Argote & Miron-Spektor, 2011)、知識創造(野中&竹内, 1996)、ダイナミック・ケーパビリティ(Eisenhardt & Martin, 2000; Teece, 2012)など、組織を主語とする理論が中心です。一方で後者は、リーダーシップやモチベーション、センスメイキングといった個人の行動や認知を扱います。組織を動かすのは結局のところ「人」であり、その心理や関係性にアプローチする重要性が明らかになったことで、イネーブルメントの考え方も個人支援から組織全体へ拡張していったと考えられます。実際、SECIモデルを提唱した野中郁次郎氏らは、「ナレッジ・イネーブリング」という概念を打ち出し、組織の知識創造を促す追加の方法論を展開しました(ゲオルグ, et al., 2001)。彼らは「ケア」という概念を用いて、イネーブリング・コンテキストを次のように説明しています。そうすると、イネーブリング・コンテキストはとはむしろ、物理的空間(オフィス・デザインや業務手順)、仮想的空間(電子メール、イントラネット、テレビ会議)、メンタル的な空間(共有された経験、考え、感情)でもあるし、さらにまたそれらが組み合わされた空間なのである。そしてそれは何よりも、参加者とケアと信頼で成り立っている相互作用のネットワークを指している。(ゲオルグ, et, al., 2001, p.84)イネーブルメントの成否は、信頼関係の構築次第であるこれまで見てきたように、イネーブルメントは個人にも組織にも適用できますが、その実践を左右するのは関係する相手との信頼関係を築けるかどうかです。野中らは、イネーブリング・コンテキストを実現するために「ケア」という概念の特徴として、相互信頼、積極的な共感、助け合い、寛大な判断、勇気の5つを挙げています(ゲオルグ, et al., 2001)。想像すれば当然のことですが、信頼できない、あるいは嫌いな相手からの助言を積極的に受け入れるのは難しいでしょう。本音を明かさず、形だけの「取引」関係に終始してしまう可能性もあります。一方で、相互信頼があれば積極的な協力やアイデア交換が行われ、結果として大きな成果に繋がります(Burgess, 2015; ゲオルグ, et al., 2001; 入山, 2019)。信頼関係は、より大きな協力を生み出し、結果としてより大きな成果に繋がります(Burgess, 2015; ゲオルグ, et al., 2001; 入山, 2019)。シンプルではありますが、まず適切な対話を通じて信頼関係を築き、お互いが目指すべきゴール地点を描き、そこに向かって協働して取り組むことがイネーブルメントの実践と言えるのかもしれません。参考文献Argote, L., & Miron-Spektor, E. (2011). Organizational learning: From experience to knowledge. Organization Science, 22(5), 1123–1137. https://doi.org/10.1287/orsc.1100.0621Burgess, M. (2015). Thinking in promises. O’Reilly Media.Davis, M. (2017). Teaching design: A guide to curriculum and pedagogy for college design faculty and teachers who use design in their classrooms. Allworth Press.Eisenhardt, K. M., & Martin, J. A. (2000). Dynamic capabilities: What are they? Strategic Management Journal, 21(10/11), 1105–1121. 3.0.CO;2-E" data-has-link="true" rel="">https://doi.org/10.1002/1097-0266(200010/11)21:10/11<1105::AID-SMJ133>3.0.CO;2-EMotomura, A., & Yaegashi, K. (2024, August 6–7). Enabling non-designers to design: Building a theoretical framework of design enablement through action research with a Japanese system integration firm. In The 24th dmi: ADMC 2024 Academic Design Management Conference Proceedings (pp. 395-407). Design Management Institute. https://dmi.org/ADMCPeterson, R. M., Malshe, A., Friend, S. 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(2001). ナレッジ・イネーブリング―知識創造を支援するマネジメント. 東洋経済新報社.野中, 郁次郎, & 竹内, 弘高. (1996). 知識創造企業―日本企業が生み出すイノベーションのメカニズム. 東洋経済新報社.山崎, 和彦, 松原, 幸行, 竹内, 公啓, 黒須, 正明, & 八木, 大彦 (Eds.). (2016). 『人間中心設計入門 HCDライブラリー0巻』. 近代科学社.