生成AIの普及により、デジタルプロダクト開発における役割の境界が曖昧になりつつあります。 デザイナーでもエンジニアでも簡単にUIやプロトタイプの作成が可能となったことで、「どこからどこまでが誰の仕事か」という分担の前提が揺らいでいます。その結果、従来のように成果物を受け渡す“ハンドオフ”という構造自体が、現場の実態と噛み合わなくなってきています。今、求められているのはハンドオフを効率化することではなく、その前提を手放すことです。本稿では、こうした時代の変化に応答する新たな協業モデル「マッシュポテト・プロセス」を提案します。これは、異なる職能が同じ空間でグラデーション的に関与し、共創するためのプロセスモデルです。生成AIを共創者と捉えるこのプロセスにおいて「あなたが何者か」ではなく、「どう関わるか」が重要です。AIによって解体される役割これまでデジタルプロダクト開発の現場では、職能による分業が当たり前となっていました。デザイナーは設計に集中し、エンジニアはそれを受け取って実装する。その間には成果物をやり取りする接続点「ハンドオフ」が存在し、そこに多くの摩擦と非効率が集中していました。しかし、生成AIの台頭により、その構造は徐々に変わろうとしています。デザイナーでもエンジニアでも簡単にUIを生成し、簡易的なプロトタイプを即時に出力できるツールの普及によって、「どこからどこまでが誰の仕事か」という境界線が曖昧になってきました。従来の専門性はその役目を終えつつあり、目的ベースの共創が新たな実行単位になりつつあります。ハンドオフの改善ではなく、プロセスそのものを見直す時Dan Mallが提唱した「ホットポテト・プロセス」は、かつての協業プロセスにおいて合理的な選択肢でした。この手法は、熱い芋を素早く手渡していくゲームに由来し、プロダクト開発の初期段階からデザイナーとエンジニアが密に連携し、成果物を高速に渡し合うことで、ウォーターフォール的な分断を回避しながら、アジャイルに進行するというものでした。特にプロトタイピングやMVP開発のフェーズでは効果的に機能してきました。しかし、生成AIが実務に入り込みはじめた現在、この引き継ぎという構造そのものが現場の実態と噛み合わなくなってきています。元よりハンドオフに内在する、設計意図の伝達、仕様の翻訳、表現の再解釈といったプロセスは、分断を生み、さまざまな齟齬をもたらしてきました。そして今後、生成AIによるプロダクト開発が当たり前となり、アイデアから実装までの距離が一気に縮まった環境下では、そうした工程の多くがもはや冗長になるでしょう。いま求められているのは、職能の接点における効率を高めることではなく、それを前提としないプロセスの構築なのです。ハンドオフを前提としない協業モデル「マッシュポテト・プロセス」とはこの変化に応答するプロセスが「マッシュポテト・プロセス」です。これは職能間のハンドオフを前提としない協業モデルです。分業された成果物をやり取りするのではなく、同じ作業空間において複数の職能が並列的に、グラデーションになりながら設計と実装を同時に推進する協業モデルです。エンジニアとデザイナーの役割の濃淡は残りますが、互いのアウトプットが分離されずにその場で交わるため、情報の欠損や誤読が構造的に抑制されます。たとえば、プロダクトの初期構想段階から、デザイナーとエンジニアが同じキャンバス上で思考を共有し、UIの構造と挙動、技術的な実現方法をリアルタイムにすり合わせながら形にしていく。 「この画面では何がしたいのか」「ユーザーはどこで迷うか」「どうすれば実装がシンプルになるか」といった問いを、役割を越えて交わし合い、そのまま画面やコードのアウトプットへと反映させていく。こうした共創環境では、設計と実装の境界はあいまいになり、そもそもハンドオフは生じません。その結果、「伝言ゲーム」のような解釈の連鎖が発生せず、仕様のズレや再構築に伴う手戻りが減少します。「最良のハンドオフとは、ハンドオフをしないことである」という思想が、マッシュポテト・プロセスの根幹に据えられているのです。共通言語としてのOOUIがマッシュポテト・プロセスを支えるマッシュポテト・プロセスを機能させるためには、思考の解像度を揃える設計思想が必要です。Object-Oriented UI(OOUI)はそのための有効な枠組みとなります。OOUIは、UIを動作単位ではなく対象(オブジェクト)単位で捉えるアプローチです。ユーザー、申請、ドキュメントといったオブジェクトを設計の起点とすることで、UI構成要素の粒度とエンジニアがコード上で扱うデータ構造との対応関係を取りやすくし、両者間での認識を揃えやすくなります。重要なのは、OOUIを単なるタスク思考へのアンチテーゼとして捉えるのではなく、UIとデータ構造を一貫した設計論理で捉えるための共通言語として扱うことです。オブジェクトの意味的な定義、データとしての構造、そしてそれがUI上でどう表現されるか。これらを職能を越えて共有可能にすることで、OOUIはマッシュポテトプロセスで交差する両者の認知の支点となり、その実践を支える土台になるのです。生成AIは役割を変えるのではなく、関わり方を変えるデジタルプロダクト開発の業界内では、これまで新しいAIツールが登場するたびに、「何か大きく変わるかもしれない」とX(旧Twitter)を中心に話題になってきました。しかし、その過度な期待はすぐに裏切られ忘れられる——そんな浮き沈みの歴史をたどってきました。ところが、とりわけChatGPTのようなツールはすでに実務における有能な部下や同僚として振る舞いを見せており、多くの開発現場で自然に溶け込んでいます。このように実務への定着が進んでいることは、生成AIの技術がすでに実験段階を脱し、着実に実用フェーズに入りつつあることを示しています。こうしたテクノロジーの成熟度を客観的に把握する手がかりとして、ガートナーのハイプサイクルというモデルがあります。これに照らし合わせると、デジタルプロダクト業界において生成AIはまさに今、「啓蒙の坂」を登り始めている段階にあるといえるでしょう。この流れは、学習データの拡充やモデルの高速化といった技術進展によって、今後さらに加速していくと予測されます。そしてその変化は、遠い未来の話ではなく、数年以内に直面する現実的で不可避な変化なのです。このような時代において、「AIがやってくれるから、自分は関せずともよい」という退却的な思考は、むしろ現実から乖離しています。重要なのは、AIを前提とした開発環境の中で、人がどこで判断を挟み、どこにこだわりを持つのかという、関与の再構築が問われているという点です。マッシュポテト・プロセスは、この関与の再設計を支える枠組みです。単なる境界の柔軟化ではなく、開発プロセス全体の構造刷新を目的とした提案なのです。成果物のハンドオフという前提を廃し、異なる専門性が、同じ作業空間、同じ時間軸、同じ抽象度で関与できる、環境とプロセスを設計すること。そしてその中核に、生成AIが共創者として存在するという点にこそ、このモデルの本質があります。このようなプロセスの中では、あなたがエンジニアかデザイナーかという分類は重要ではありません。むしろ、デジタルプロダクト開発という営みがグラデーション的に構造化されていくのであれば、役割を固定的に捉えることは障壁になるでしょう。問うべきは、あなたが何者であるかではなく、あなたがプロダクトにどう関わるか、なのです。